公益財団法人 日本吟剣詩舞振興会
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吟詠音楽の基礎知識 2022年3月




〈説明〉

元来、漢詩に出てくる言葉は、日常あまり使わない言葉が多く、平板で吟じようが頭高で吟じようが何の支障もない言葉が大半を占めています。例えば「千秋」「是」「痴人」「秦淮」「寒水」「恰も」「光景「頭を」「沙汀」「多し」「問う」「碧山に」「野田に」「飽くまで」「雨声を」「蓬莱」「最も」「吹く」「歌管」「又」「神」「洞中」「三世の」「東山」「当年の」……などは、アクセント付き漢詩集において二通りのアクセントを良しとして「十二橋」(大槻磐渓の潮来)の場合のように、5種類のアクセントが認められている場合もあります。

 アクセント辞典からの請け売りで申し上げますが、標準のアクセントを確定する作業は大きく分けて二通りあり、一つは語尾の活用に関する法則にのっとってのアクセント確定。もう一つは、すでに全国的に通用していると判断されるアクセントの採用。これらの方法で確定したアクセントですから、一つの言葉に二通り以上のアクセントが多いのも仕方のないことと思います。(ここからは河野の私見です)問題点は、このようにして決めたアクセントを絶対視してコンクールの規定に採用したことです。最初の動機は「雨・飴」「橋・箸」「熱い・厚い」などの錯誤を防止するための規定であったはずのものが、いつの間にか吟詠の芸術性を損なう存在となってしまったのです。「ドファの不都合」もその一つです。

 20年以上前のことと思います。武道館の企画吟の合吟を、テレビ朝日の大きなスタジオで録音したことがありました。その時の吟題に「楽しみは……」という題がいくつかあり、吟じ出しの「楽しみは」が「ドファファミミ」でした。私はこれ幸いと、前奏の最後を「ドファラ」の和音にして伴奏を書きました。言葉と、節があっていると思い、何の心配もせず録音に臨みました。ところが先導の吟者の方が音程を把握できずに吟じ出せなかったのです。この時、舩川先生が先導の方に「楽しく明るく陽気な気分で吟じなさい」とアドバイスをして下さり、何とか乗り切りました。

 しかしその時の舩川先生の真剣な表情から「ドファラの前奏は、やってはいけないことなのだ」とはっきり分かりました。「ドファーと吟じ出すのだから吟者もそのつもりだ」と思ったのが大きな間違いであり、吟者の頭の中は「ドミー」だったのです。今思い出しても冷や汗が出ます。それ以来先生は、ことあるごとに「どうして詩吟の人は『ドファ』を使うのだろう?」と口癖のようにおっしゃるようになりました。私はその度に「中高にするためでしょう」と決まり文句のように言ってました。テレビ朝日の一件で確信を持ったからです。「ドミー」と吟じたいけど中高にするため「ドファミー」なのだ。しかもこの時、「ファ」は聞こえていないし、声を発しているつもりもないのだと分かったのです。

 このことは納得いかないという方が多いと思いますのでその場合、こんなことを試してみてください。キーボードで『ドシラファミー ラドファー』と弾いて吟じ出せますか?無伴奏なら「ドファー」と吟じ出せる方も「ラドファー」という前奏を聞いてしまうと「エっ?」という感じでまるで我が家を見失ったような気分で、音程が把握できなくなると思います。逆に「ラドミー」を聞きながら「いにしえよりー」(ドファファファファミー)と吟じてみてください。これも気持ち悪いと思います。

 今年に入ってから完璧な「ドファー」に出会いました。頂いた素吟の音は出だしが「春宵」(ドファファファー)「一刻」(ドファファファー)となっていましたが前奏の最後は「レファラ」にしました。きっと前奏につられて「春宵」(レファファファ)。「一刻」も(レファファファ)となるだろうと思いましたが、結果は「春宵」(ドファファファー)「一刻」(ドファファファー)と吟じました。中高とは無関係なのに……「ドファ」と吟じ出したのです。この場合、「ドファー」が長調の響きだというような感覚はないのだと思いました。普通「春宵」は(レファファファー)、「一刻」は(ファラララ)が一般的ですがこの場合は違いました。少なくとも昔は平板に(ドファー)はありませんでした。明らかに吟界ではやっている「ドファミー」の影響と思えてなりません。

 吟界の明日が心配です。