公益財団法人 日本吟剣詩舞振興会
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漢詩を紐解く! 2022年1月




王維「元二の安西に使いするを送る」
(おうい 「げんじのあんせいにつかいするをおくる」)


漢詩は学ぶほどにその魅力にとりつかれ、味わい深くなります。
毎回何首かの詩を取り上げ、奥深く豊かな詩の世界を少しだけ解きほぐしてみたいと思います。
出来る限りテレビやラジオの演目に合わせて詩を選びますので、吟詠の一助にお読みいただければ幸いです。ときには和歌も取り上げたいと思います。


詩の言葉には、特有なイメージを伴うものがあります。言葉のイメージについて、このシリーズではすでに月やホトトギス、春や柳について触れました。今回の王維の詩も「柳」が詠われ、重要な働きをします。

 送元二使安西[元二の安西に使いするを送る]王維
 渭城朝雨浥輕塵[渭城の朝雨軽塵す]
 客舎靑靑柳色新 [ 客舎青青柳色新たなり]
 勸君更盡一杯酒[ 君に勧む更に尽くせ一杯の酒を]
 西出陽關無故人[ 西のかた陽関を出づれば故人無からん]

〈出発の朝、渭城の町に通り雨が降り、軽く舞っていた塵をしっとりうるおした。旅館の前の柳も洗われ、芽吹いたばかりのように青々と新しい。君に更にもう一杯勧めよう、この酒を飲みほしてくれたまえ。西の陽関を出たら旧知の友はいないのだから〉

詩題にいう「元二」の「元」は姓で、「二」は排行です。どんな人物かは分かっていません。排行とは、一族の同世代の人につける番号です。「安西」は、盛唐時代に安西都護府の置かれた亀茲、今の新疆ウイグル自治区の庫車です。元二は、起句の「渭城」(今の咸陽)から、結句の「陽関」(敦煌の西に置かれた関所)を通って、さらに西の「安西」に行きます。西に旅立つ人は、渭城(咸陽)で最後の別れをしました。別れの宴は、一週間、一カ月と、長く続くこともあったようです。

この詩は、西の陽関を出たら親友はいないのだから、もう一杯だけ私の酒を飲みほしてくれと、惜別の情をわかりやすく詠っています。が、前半と後半は、どういうつながりがあるのでしょうか。

第二句の「旅館の前の柳が青々として新しい」という句と、次の句の「更に尽くせ一杯の酒」との間に断絶のあることにお気づきでしょうか。
七言絶句は、承句・転句の間に断絶があることによって、詩の広がりと奥行きが加味され、余韻・余情がたゆたいます。特にこの詩の場合は、「柳」のイメージが明らかであることから、断絶の効果がはっきりと確認できます。

古来中国では、柳の枝を折って丸く「環」にし、旅人に贈る習慣がありました。「環」は「帰る」の「還」に通じます。また「柳」の発音「リュウ」は「留」とも通じます。あなたへのおもいを留めるのです。また柳はどんなところでも生長する生命力の強い植物です。そこで柳は、元気で帰ってきてくださいという願いをこめて旅人に贈られました。つまり、詩に「柳」が詠われると、「別れ」が想起され、おのずから「別れの悲しみ」が湧くように働くのです。

さて、詩歌に詠われる別れの情景は、日本も中国も伝統的に秋の夕暮れでした。しかし、この詩は春の朝です。通り雨がさっと降って、柳がたった今芽吹いたかのように青々とします。爽やかでみずみずしい春の朝です。従来の場面設定とはまったく逆の季節と時間にしたことにより、別れがいっそう新鮮に感じられます。まずここに、この詩の新しさがあります。

承句の下三字「柳色新た」は前半の情景をすべて受け止め、これが軸となり後半が展開します。表現だけを見ると、確かに「柳色新た」と「更に尽くせ一杯の酒」がつながらず、断絶しています。

が、「柳」のイメージが働くと、「柳が青々として新鮮」という風景描写とともに、「別れの悲しみが新たにわき起こった」という情の動きが重なり、断絶を補い、そして次の句を導きます。

王維と元二は十分に別れの杯を酌み交わし、もうこれで心の整理もついた、いざ出発、というとき、柳を見て悲しみがまた新たに湧き起こりました。だから、「更に」もう「一杯」だけでいいから私の「酒」を飲み「尽くして」くれと言うのです。「更に尽くせ一杯の酒」は、再びこみあげてきた悲しみを癒そうという、素直な表現で、万感のおもいがこもっています。

後半の表現だけでも十分惜別の情は伝わります。が、「柳」の働きを知ると、心の動揺が伝わり、奇をてらわない転句の表現によって、ますます惜別の情が深まります。また前半の二句は、青々とした柳を詠うために、なくてはならない春の朝の通り雨であることも、納得できます。