公益財団法人 日本吟剣詩舞振興会
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漢詩を紐解く! 2021年8月




李白「静夜思」
(りはく
せいやし)


漢詩は学ぶほどにその魅力にとりつかれ、味わい深くなります。
毎回何首かの詩を取り上げ、奥深く豊かな詩の世界を少しだけ解きほぐしてみたいと思います。
出来る限りテレビやラジオの演目に合わせて詩を選びますので、吟詠の一助にお読みいただければ幸いです。ときには和歌も取り上げたいと思います。


 「静夜思」は李白の創作した楽府題です。漢の時代に設けられた音楽の役所「楽府」に採集された民謡などを「楽府」といい、楽曲が失われたのちもその題を用いて替え歌が作られました。李白は古い題とは別に自ら新たに題をたて、民謡調の詩を多く作りました。その一つが「静夜思」です。

 牀前看月光 [牀前 月光を看る]
 疑是地上霜 [疑ふらくは是れ地上の霜かと]
 擧頭望山月 [頭を挙げては山月を望み]
 低頭思故郷 [頭を低れては故郷を思ふ]

 原文は日本の静嘉堂文庫(世田谷区)に所蔵する宋代の善本に拠っています。テキストによっては、第一句・第三句を

 牀前明月光 [牀前明月の光](第一句)
 擧頭望明月 [頭を挙げて明月を望み](第三句)

とするものもあります。現在の中国で多く通行しているのがこの「明月」とするものです。ちなみに、第一句の「明月光」は、清の王士禎の『万首唐人絶句選』や沈徳潜の『唐詩別裁』、乾隆帝の『唐宋詩醇』などに見え、第三句の「望明月」は『唐宋詩醇』などに見えます。いずれも清代以降の選集に採られているもので、その出典は分かりません。

〈秋の静かな夜ふけ、寝台の前までさしこんでいる月の光を見た。あまりにも白いので、はじめは地上に降りた霜かと思った。光をたどって頭をあげてみると、山の端に明るく耀く月がかかっている。その明月を眺めていると故郷がなつかしくなり、知らず知らず頭をたれていた。〉

 「月」は望郷を詠うときによく用いられます。この詩は、下の「地上」の月影を見、光にみちびかれて「頭を挙げて」山の上の月を見、「頭を低れて」下を向く、という視線の動きのなかに、霜かと思ったのが月の光だったという驚き、美しい月を見たうれしさ、そして故郷への思い=郷愁を託します。李白は四川省の山の中で育ちましたから、山の月を見て、いっそう故郷が懐かしく思い出されたことでしょう。頭をたれたのは寂しく悲しかったからです。

 「霜」は、日本では水蒸気が昇華した氷の結晶をいいますが、中国では、たとえば「月落ち烏啼いて霜天に満つ」(楓橋夜泊)というように、空中にただよう冷気をいいます。そこでこの詩では「地上の霜」、地上に降りた霜、といっています。

 「牀前」は寝台の前です。先の口語訳で、第一句は、寝台の前までさしこんでいる月の光を見た、としました。ところで、李白は、この月の光をどこで見ているのでしょうか。寝台の上とすると、睡っていてふと目が覚めたのでしょうか、睡れずにうとうとしていたのでしょうか。月の光は窓からさしていたのでしょうか、戸口からでしょうか。睡ろうとして寝台にいるのに、窓や戸口は開け放ったままなのでしょうか。

 人によっては、「牀の前」に李白がいて「月光を看た」、と取るかもしれません。あるいは寝ようと思って部屋に入ったら、寝台の前まで月の光がさしていた、ともとれます。また、頭をあげて月を見たのはどこでしょうか。やはり寝台の上からでしょうか。窓は近くにあるのでしょうか。それとも歩いて窓辺へ行ったのでしょうか。庭へ出たのでしょうか。穿鑿したら切りがありません。

 井伏鱒二は、この詩を日本語の詩として雑誌に発表したとき、「牀前」の句を「寝床に行くとき」としています。

 ネドコニユクトキイイ月ガデテ/庭ニ置イタル霜カトミエタノキバノ月ヲミテイルト/ヒトリ妻子ニアタマガサガル

 つまり「牀前」は、「寝床に入る前」、ということになります。のち『厄除け詩集』では改められ、次のように詩のエッセンスだけになりました。改められた経緯については、井伏鱒二に「静夜思」という一文があります。

 ネマノウチカラフト氣ガツケバ/霜カトオモフイイ月アカリノキバノ月ヲミルニツケ/ザイショノコトガ氣ニカカル

 漢詩を訓読ではなく日本語の詩に仕立てた「翻訳詩」は、ほかに土岐善麿や佐藤春夫にもあります。それぞれの個性があらわれておもしろいので、いずれまた触れたいと思います。