公益財団法人 日本吟剣詩舞振興会
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漢詩を紐解く! 2020年12月




韋荘「金陵の図」
(いそう きんりょうのず)
〜「春の草」と「柳」〜


漢詩は学ぶほどにその魅力にとりつかれ、味わい深くなります。
毎回何首かの詩を取り上げ、奥深く豊かな詩の世界を少しだけ解きほぐしてみたいと思います。
出来る限りテレビやラジオの演目に合わせて詩を選びますので、吟詠の一助にお読みいただければ幸いです。
ときには和歌も取り上げたいと思います。


 詩に使われる言葉=詩語には、特有の情感を喚起させるものが多くあります。特別な背景があったり、多くの詩に詠われてイメージが定着し、詩的機能が強くなっているのです。ホトトギスがそうでした。今回の韋荘(八三六〜九一〇)の「金陵の図」に出てくる「春の草」と「柳」も重要な働きをします。

 江雨霏霏江草齊 [江雨霏霏として江草斉し]
 六朝如夢鳥空啼 [六朝夢の如く鳥空しく啼く]
 無情最是臺城柳 [無情は最も是れ台城の柳]
 依舊煙籠十里隄 [旧に依って煙は籠む十里の隄]

 題名の「金陵」は今の南京です。六朝時代(二二九〜五八八)には建康といい、南の王朝の、呉・東晋・宋・斉・梁・陳の六つの王朝の都でした。そこで「六朝」時代というわけです。この詩は、金陵の風景画を見て作詩したか、あるいは詩によって金陵の風景画を描こうとしたものです。季節は春です。第一句「江草斉し」、柳に「煙は籠む」とあるからです。「斉し」は、一様に生えそろうこと。だから「江草斉し」は、春になって柔らかな草が萌え出し、一面に平らに茂っていることをいいます。「煙は籠む」の「煙」は、モヤ・カスミのことですが、ここは柳が芽を吹いて柔らかな緑の葉がけむるように見えることをいいます。

 第一句目、「霏霏」は雨が細かく降るようす。「長江の川面に春雨がしとしと降りしきり、水辺の草は一様に青々と生い茂っている」と。第二句は、無常観を詠います。「六朝時代の栄華ははかない春の夜の夢のように消え去ってしまい、今は鳥だけがいたずらに美しい声でさえずっている」。

 第三句に「無情は最も是れ台城の柳」と最も無情な景色を詠いますから、前半の二句も、「無情」な悲しい風景です。春になってまた萌え出す生命力あふれる春の草に対して、夢のようにはかなく去ってしまった人の世。これだけで充分感傷的ですが、さらに後半は寂しく悲しい風景が描かれます。

 最も悲しい風景とは、台城の柳(枝垂れ柳)です。「台城」は宮城のことで、城跡は今の南京郊外、玄武湖のほとりにありました。「台城の柳は、昔ながらに湖畔の十里の堤をおおい、降りしきる春雨のなかに緑色にけむっている」。「旧に依る」は昔と同じように。

 この詩が書かれたのは六朝が亡んで三百年も経っていますから、当時若かった柳も相当な老樹となっていることになります。枯れた柳でも春になると芽吹き、自然は季節に違うことなく循環します。が、人の世ははかなく消滅してしまった。変わらぬ自然と、はかない人の世、という対比。これは前半の二句も同じです。前半は一年単位、後半は百年単位になっています。

 この対比だけでこの詩は充分理解できますが、春の草と柳の詩的機能を知っていると、いっそう悲しみがわいてきます。実は、春の草も、柳も、悲しみ・別れの悲しみ、を喚起させます。春の草は「春草」「芳草」「細草」ともいいます。春が来ると忘れずに芽吹く春の草は、『楚辞』の「招隠士」に

 王孫遊びて帰らず/春草生じて姜姜たり

と詠われ、親しい人が旅に出たまま帰らず、若草がしげる春になった、といいます。そこで春の草に、別れ、というイメージが付与され、詩に用いられると悲しみが喚起されるのです。なお「姜姜」はさかんに茂るさまです。

 柳は、旅人を見送るときその枝を丸く輪にして贈ったことから、別れのイメージが付与され、悲しみを喚起するように働きます。輪は「環」といいます。「環」は「還」(=帰る)と音が同じことから、旅人に無事に帰ってきてください、というメッセージをこめたのです。春になり柳が芽吹くと、別れた時のことや別れた人を思い出し、悲しくなる。そこで柳が詠われると、悲しみが喚起されるのです。

 ホトトギスのイメージと同様、なかなか実感できませんが、漢詩には春の草や柳を詠う詩がたくさんありますので、たくさん読んで、悲しみを感じ取ってください。(例外もありますが……)