公益財団法人 日本吟剣詩舞振興会
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吟詠音楽の基礎知識 2020年10月



〈説明〉

 まず伴奏に関する問題です。現在、多くの会派の絶句のコンクールが、日吟振のコンクール用伴奏曲を使用しています。また、これ以外の伴奏曲を使用している場合をも含めて、おおむねこれらの主旋律は似ています。しかし昔から、各会派の吟にはそれぞれ特徴があり、全国共通の伴奏は無理だといわれてきましたが、現実はその無理が通って全国的に既製品の伴奏曲によるコンクールが実施されています。この状況の影には、少数派の吟詠スタイルが鳴りを潜め、今まさに消えようとしている事実があります。

 一例を挙げますと、吟詠中の『ヤマ』と呼ばれるコブシの中に陽旋法が混じる吟法や、吟じだしが陽旋法のもの、高音から始まる吟、転句に『吟変り』という転調があるものなどです。コンクールに限ったことだから影響はないはずと思いたいところですが、実際はコンクールに熱心な会派ほどコンクール至上主義となり、流党独自の吟法をなおざりにし、気が付いたら流党の吟をできるものがいなかったということになるのです。

 もちろん、ごく一部の流派しか使わない特殊な伴奏音楽を、お金を掛けて用意しておくのは非現実的ですが、これが和歌のコンクールとなるとこの不都合に正面から向き合わなければなりません。

 予想される対応としては、
①最も多く詠われる二つのタイプに絞って伴奏曲を用意する
②多く詠われる上位四つのタイプに絞る
③上位二つのタイプを用意し、かつ出吟者の伴奏曲持ち込みを認める
④すべての出吟者に伴奏曲を用意させる

 一つの流派の中で行うコンクールでしたら、必要な伴奏が特定できますので独自に制作したCDを用いることもできます。しかし、財団主催のような多流派合同の全国規模的コンクールになると、すべての伴奏に対応することは難しくなります。

 私が懸念しているのは、運営の都合を優先して安直な①を選ぶことです。この方法によるコンクールが何年も続くと、この吟界に於ける和歌の旋律はコンクール仕様の二つの旋律形に集約され、他の旋律が淘汰され、和歌の面白みが半減してしまい、吟界活性化とは逆の結果をもたらすのではないかと心配します。

 伴奏曲持ち込みについては、事前に再生テストを行わなくてはならず、運営上難しいと思いますが、以前関西方面で吟者の持ち込みによる伴奏曲で大会が行われているところを目撃したことがあります。

 この四つの方法以外に名案があればよいのですが、どの方法を選ぶにしても、絶句のコンクールで犯した過ちが繰り返されないことを期待します。発音審査についてのワタリとアクセントの審査は無用と思います。

 漢詩の文化は中国より伝来したもので、漢詩そのものは中国語です。しかし、吟詠における漢詩は日本語です。語順や発音など、中国語とは異なるため、平仄や押韻の効果を感じることはほとんどありません。和歌の場合は、平安時代に完成したといわれる日本の歌の一つの形で、『てにをは』の一音にまでこだわり、前後のつながり、言葉の響き、リズムなどを大切にしています。この点は漢詩を日本語に訳した詩吟とは基本的に異なります。和歌を声に出して長く延ばすことは、詩吟朗詠が盛んとなる以前から行われていたようで、カルタ取りのときに読み上げる様子もその一つで、正月に宮中で行われる歌会初めの時にもその歴史の一端がうかがえます。

 カルタ取りや歌会初めで聞かれる読み上げ方は、一言一言にアクセントをつけるのではなく、一息ごとを区切り平板または無アクセントで読み上げており、この詠み方がゆったりとした優雅な雰囲気を醸し出しているのだと思います。『梅の花』や『励ましの手紙』などは一語として平板または無アクセントで読み上げており、二語としてそれぞれにアクセントをつけるより優しく、品があり、粋であると感じますがいかがですか?このことはアクセント辞典の付録にも解説があります。

 もうひとつ気になるのが、和歌にアクセント記号を付ける場合、アクセント辞典の見出しのみを取って、すべての活用形に当てはめてしまう傾向がありますが、活用語尾によってアクセントは変わると覚えておきましょう。『晴れる』の中高を『晴れても』に当てはめると『腫れても』に聞こえてしまいます。このようにアクセントは大事な項目ではありますが、一義的にきめられない面もあります。アクセントは絶句のコンクールでかなり浸透したはずです。和歌のコンクールを始めるのをきっかけにアクセントの審査を取りやめにする事を考えてみましょう。せめて和歌だけでも……。『せっかく審査能力のある人材が増えたのに』という気持ちはわかりますが、それを理由にしては本末転倒というものです。アクセントの規定を緩めようといわれたのは昔話になりつつあります。ワタリの話が窮屈になりました。ワタリを規制しているのは我々吟界だけです。

 以上申し述べました内容は、あくまで私見であり、公益財団法人日本吟剣詩舞振興会の見解ではないことを申し添えます。