公益財団法人 日本吟剣詩舞振興会
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漢詩を紐解く! 2020年9月




白居易(はくきょい)
「香炉峰下の山居」(こうろほうかのさんきょ)


漢詩は学ぶほどにその魅力にとりつかれ、味わい深くなります。
毎回何首かの詩を取り上げ、奥深く豊かな詩の世界を少しだけ解きほぐしてみたいと思います。
出来る限りテレビやラジオの演目に合わせて詩を選びますので、吟詠の一助にお読みいただければ幸いです。
ときには和歌も取り上げたいと思います。


 白居易(字楽天、七七二〜八四六)は、四十四歳のとき江州(江西省九江市)に司馬として左遷され、四十六歳のとき、廬山の一つの峰、形が香炉に似ている香炉峰のふもとに草堂を築きます。その「香炉峰下の山居」での思いを詠ったのが今回の詩です。正式な題は「香炉峰下新たに山居を卜し、草堂初めて成り、偶(たま)たま東壁に題す」です。詩形は七言律詩。

日高睡足猶慵起 [日高く睡り足りて猶ほ起くるに慵し]
小閣重衾不怕寒 [小閣に衾を重ねて寒を怕れず]
遺愛寺鐘欹枕聽 [遺愛寺の鐘は枕を欹てて聴き]
香爐峰雪撥簾看 [香炉峰の雪は簾を撥げて看る]
匡廬便是逃名地 [匡廬は便ち是れ名を逃るるの地]
司馬仍爲送老官 [司馬は仍ほ老を送るの官為り]
心泰身寧是歸處 [心泰く身寧きは是れ帰する処]
故鄉何獨在長安 [故郷何ぞ独り長安のみに在らんや]

 前半は、草堂での自適の生活を詠います。首聯(第一句・第二句)は「日は高く、十分に眠ったがまだ起きる気にはなれない、掛け布団を重ねて寝ているので寒さの心配もない」と言います。それを承けて、寝たままでの動作が次の頷聯(第三句・第四句)で具体的に詠われます。「遺愛寺の鐘は寝たまま枕を立て耳を澄まして聞き、香炉峰の雪景色はふとんから手を出し簾をはねあげて眺める」。「遺愛寺」は香炉峰の北方にあった寺です。「雪」が積もっていますから、寒いことが分かります。

 後半は、心身ともにやすらかであれば、そこが故郷であると詠います。頸聯(第五句・第六句)の「匡廬」は廬山の別名。匡廬も廬山も、周の時代に匡俗という人が俗世を逃れて山中に廬を結んだことに因む名です。「便ち」は、そのままで、つまり。「仍ほ」は、その上、さらに。「匡廬はつまり名利・名声から逃れるのにふさわしい土地であり、司馬もさらに余生を送るのにふさわしい官職だ」。「司馬」は、軍事をつかさどる官ですが名目だけの閑職です。尾聯(第七句・第八句)の「帰する処」は人間本来の落ち着くべきところ、最終目的。「十分に眠り、名利などにかかわらず、心身ともにやすらかなことが人生の目的、そうであれば故郷は都の長安だけとは限らない」。白居易はこの左遷をきっかけに、官僚生活から一歩退いたところで心閑かな生活を楽しむ「閑適」の境地を積極的に求めるようになります。
 白居易の詩文は日本の平安時代によく読まれ、日本文学に多くの影響をあたえました。特に頷聯の「遺愛寺の鐘は枕を欹てて聴き香炉峰の雪は簾を撥げて看る」は、『源氏物語』の「総角」、『大鏡』(巻二)など、いろいろな所に引用・利用されています。『枕草子』二九九段では、中宮定子に「香爐峯の雪いかならん」とたずねられた清少納言が「御簾を高く上げ、定子がお笑いになった、とあります。漢詩では菅原道真が「門を出でず(不出門)」の頷聯で

都府樓纔看瓦色 [都府楼は纔かに瓦色を看]
觀音寺只聽鐘聲 [観音寺は只だ鐘声を聴く]
と詠い、和歌では藤原俊成が

 曉とつげの枕をそばだてて聞くもかなしき鐘の音かなと詠んでいます(『新古今和歌集』巻十八)。

 ところで、「遺愛寺」「香炉峰」は、たまたまそこにあったので詠われた、ということなのでしょうか?この世のあらゆる風物・事象のなかから詩に必要なものを選び取るのは詩人のセンスであり、それを詩に用いて美しくイメージ化するのも詩人のセンスです。そのために詩で大切なことは、言葉が活きる、ということです。

 「遺愛寺」「香炉峰」には寺と香炉と、つながりのある字が含まれています。「遺愛」によって慈愛があふれ、「香炉」によってかぐわしさがたちこめます。そして心地よく耳に響く鐘の音によって「遺愛寺」は、ますます慕わしいものになり、真っ白な雪によって「香炉峰」は、より美しく映えます。それを寝ながらゆったりと楽しんでいるのです。優雅を愛する心が、日常の生活空間のなかから優しく雅やかな「風景」を発見し、それを絶妙に詠っているのです。多くの詩人がこの聯に魅了されたのも頷けます。