公益財団法人 日本吟剣詩舞振興会
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漢詩を紐解く! 2020年4月

王翰「涼州詞」

漢詩は学ぶほどにその魅力にとりつかれ、味わい深くなります。
毎回何首かの詩を取り上げ、奥深く豊かな詩の世界を少しだけ解きほぐしてみたいと思います。
出来る限りテレビやラジオの演目に合わせて詩を選びますので、吟詠の一助にお読みいただければ幸いです。
ときには和歌も取り上げたいと思います。

 漢詩の形式の一つに「楽府」と呼ばれるものがあります。前漢の武帝(在位前一四○年~前八七年)が音楽をつかさどる役所「楽府」を創設し、巷間から採集した歌謡を保存したり、その歌謡を真似て新しい歌を作ったり、あるいは西域から伝わった新しい曲調に合わせて新しい歌を作ったりしました。これらの詩を「楽府」といいます。
 楽府には題がついていて、それを「楽府題」といいます。楽府題が同じであれば曲調も同じです。流行の楽府題では、もとの歌詞の主題にそうよう替え歌がたくさんつくられました。またのちに曲調が失われても、楽府題とそのもとの歌詞から、主題にそうよう替え歌が作られるようになります。同じ題の詩が多く伝わるのはそのためです。
 この「涼州詞」も楽器の演奏にあわせて唱われた楽府です。が、これは唐の玄宗皇帝に献上された塞外の曲調「涼州宮詞曲」にもとづいて作られた新しい楽府です。古い楽府は近体詩が生まれる前の詩ですから古体詩ですが、これは近体詩の七言絶句です。

  涼州詞    王翰
葡萄美酒夜光杯 [葡萄の美酒 夜光の杯]
欲飲琵琶馬上催 [飲まんと欲すれば 琵琶 馬上に催す]
酔臥沙場君莫笑 [酔うて沙場に臥す 君 笑うこと莫かれ]
古来征戦幾人回 [古来 征戦 幾人か回る]

 この詩は映画のカメラワークを術俳とさせます。第一句目は美味しそうな葡萄酒が夜光杯になみなみ注がれるシーンです。手元だけが映されます。葡萄酒も夜光杯も当時は高価なものですから、映画の鑑賞者、詩の読者はそこでまず意表を突かれます。第二句目ではカメラを広角よりに引いて、馬上で琵琶を演奏するようすが映し出されます。なんと華やかな宴会でしょう。ついつい高価な葡萄酒を何杯も飲んでしまいます。「琵琶馬上に催す」は、さあ飲めとばかりに馬上で琵琶が演奏される、という意。「催」の字が効いています。
 三句目では、カメラをさらに引いて、殺伐とした沙漠とそこに酔って臥せっている人びとが映し出されます。「沙場」は戦場です。華やかな宴会は、てっきり宮中か貴族の庭園で催されているのかと思ったのに、戦場だったのか……。そして第四句。「昔から戦争に行って帰ってきた者はいないのだ」と。明日は戦場に赴き、もう帰ってくることはない。華やかな宴会は、今生最後の宴会だったのです。内容は決して笑えるものではありません。第三句の「君笑うこと莫かれ」が重く心に響きます。
 夜光杯を持つ手元からだんだんと広い風景を映す〈狭〉→〈広〉の視線の動き、そのなかで、華やかな宴会から殺伐とした沙漠、〈華麗〉→〈戦争〉という内容が盛り込まれています。言葉の使い方、あっと驚く展開。だから「古来征戦幾人か回る」がいつそう深く心を打つのです。
 王之換の「涼州詞」もよく知られています。

  涼州詞      王之換
黄河遠上白雲間 [黄河遠く上る 白雲の間]
片孤城万切山 [一片の孤城 万例の山]
先笛何須怨楊柳 [差笛何ぞ須いん楊柳を怨むを]
春光不度玉門関 [春光度らず 玉門関]

 これも七言絶句です。第一句の「黄」「白」の色彩の対比、第二句の「一」「孤」と「万」の使い方が巧みで、途方もない距離感と宏大な天地の間の孤独感を描きだしています。白い雲の湧くあたり、高い山の上に一つポツンと取り残されている城塞。ここには国境を守るため、故郷を遠く離れた兵士たちが駐屯しています。折しも異民族の差族が笛で「折楊柳」を吹いています。「折楊柳」は別れの曲です。兵士たちも故郷を発つとき「折楊柳」で見送られたことでしょう。
 詩の後半は意表を突く展開です。「折楊柳」の曲が非悲しく演奏されても、ちっとも悲しくはない ぞ、なぜなら柳を芽吹かせる春は玉門関をわたってこの城塞には来ないのだから、と。春もやってこない辺境。 非悲しくないと強がるほど、逆に深い悲しみが伝わってきます。
 「涼州」は今の甘粛省武威市「涼州詞」は辺境の風光や征役の辛苦·悲哀を主題として詠います。