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〈説明〉
FM吟詠番組の場合、以前はアドリブで演奏しておりました。手もとに正確な記録は無いのですが昭和五十年(1975年)にはすでに舩川利夫先生からFMの吟詠伴奏をバトンタッチしていたと思いますが、その時はアドリブで伴奏するように指導されました。当時は国重歌純先生の筝でした。一曲ごとに前奏をどうするか相談しながらの録音でした。
何年か後に筝・尺八の組が一組増えて、尺八が金井明生、箏が沢村正美のお二人が加わり交代で担当しましたが、このグループもアドリブ伴奏でした。その頃舩川利夫先生から、「アドリブはどうしても内容が同じになるから譜を書いた方がいいぞ」と言われましたが、私も金井組もそのままアドリブ演奏を続けました。その後いろいろな経緯があり、七年くらい前に現在の石垣清美先生のお箏とご一緒することになりました。これがきっかけでFMの吟詠伴奏が楽譜を使った伴奏に切り替わったのです。石垣先生は「アドリブは苦手です、でたらめを弾くようで気が引けます」とのことで、楽譜を使うことになりました。
しかし、TV番組や吟詠集のCD制作のように吟者全員に無伴奏の吟を送っていただき、その吟譜を採譜し、その譜面に伴奏を書き込んでゆくという作業は時間と費用が掛かります。その為、私が30年以上書き溜めてまいりました伴奏譜の中から同じ吟題を探し、その楽譜を流用するという方法でおこなっています。勿論、吟者ご本人の為の伴奏譜では有りませんので、吟の節が部分的に、あるいは大幅に違っている場合が多いのですが、その場合には特に目立つ差異をその場で伴奏の方を修正し、目立たない違いは妥協してそのまま楽譜の通りに引いていただいております。さらに苦労話を続けます。和歌の場合、楽譜と吟者の節が合わないことがほとんどです。まして、所蔵に無い和歌の場合、自分なりの節を書いた吟譜に伴奏を新たに書くわけですが、それがスタジオで突き合せた時全く違っていたときは「がっかり」です。和歌はほとんど合わないという覚悟はしていますが、もう一つ合いにくいのが律詩です。現場では各聯(首聯・頷聯・頸聯・尾聯)の頭の節を確認して伴奏譜と照らし合わせるのですがたいていの場合音が合いません。そんな事情が多い中、最近我が所蔵に無い律詩が登場しました。吟譜を私の想像で書いて、それに伴奏を書き込んでも現場で違っていれば前奏以外全部が無駄になるのです。律詩ですから無駄骨も二倍です。そこで思いきり、ご本人に素吟をメールで送ってくださるようお願いしましたところ、快く応じてくださり、FMでは珍しくご本人の吟譜で伴奏できました。「珍しく」と言いましたのは初めてではないからです。過去には偶然、ご本人の為の伴奏譜が所蔵にあったということが2度起きましたので「珍しく」と言いました。
さて、吟題と前奏がよく合っているとお褒めの言葉を頂きありがとうございます。
吟の内容に即した前奏を書くには時間と精力が必要です。幸いなことに時間をかけて絞り出した前奏が書き溜められていますので、引き出して使用するたびごとに精査し、本当にその解釈で良いのかを確かめますので使うほど信頼が増します。
しかしFM番組11曲のうち何曲かは所蔵に無いものが登場しますのでその場合は一から書き上げます。申し上げましたように吟譜は想像で書きます。しかし前奏は裏切られることはありませんので、時間をかけて内容に沿ったものを工夫します。例えば緊迫感の強い吟には音階に無い半音の和音を多用したり、秋の清涼感には音階の中にある半音違いを高い音域で多用し、月の秋には一音違いの和音を高音域で使うなどの工夫があります。また、同じ秋でも、わびしい秋、むなしい秋、悲しい秋、等微妙に異なる表情をもなんとか表現しようと、粘ります。「寂しい」を表すのも「わけもなく物寂しい」と「死にたくなるほど寂しい」のでは全く違いますので、詩文を読み違わないように気を付けないといけません。逆に明るく楽しい表現も必要な場合があります。この場合は「ド」と「ファ」を高くして前奏に使います。つまり「ド♯」「レ」「ファ♯」「ソ」などです。この場合、前奏の最後を吟者が吟じ出しやすくする工夫が必要です。無理やり陰音階に戻して、違和感があっては失敗です。
このように、音の選び方や順番によって雰囲気が変わることを飽きずに突き詰めていくことが、より良い前奏を産むのだと思っています。
※こちらの質問は『吟と舞』2022年8月号に寄せられたものです