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趙嘏「江楼にて感を書す」
趙嘏(八〇六?~八五二?)は山陽(江蘇省淮安)の人で、会昌四年(八四四)の進士、大中年間(八四七~八六〇)渭南(陝西省)の尉になりました。この「江楼にて感を書す」は『唐詩選』にも採られる、趙嘏の代表作です。
獨上江樓思渺然[独り江楼に上れば思い渺然たり]
月光如水水連天[月光水の如く水天に連なる]
同來翫月人何處[同に来たって月を翫びし人は何処ぞ]
風景依稀似去年[風景依稀として去年に似たり]
〈ただひとり川のほとりの高殿に登ると、思いははてしなく広がる。月の光は水のように澄みわたり、川の水は遠く天に連なって流れて行く。一緒にこの楼に上り、月をながめた人はいまどこにいるのだろう。この風景だけは、さながら去年と同じで、変わらないのに。〉
冒頭から「独り」「思い渺然」と、寂しさが詠われ、その寂しさは透明な月の光のなか、きらめく水とともに天へと広がっていきます。孔子が川のほとりで「逝く者はかくのごときか、昼夜をおかず」(『論語』子罕篇)と嘆いたように(川上の嘆)、「水」は流れ去るだけで二度と帰ってきません。「水」は「過ぎ去った時」が二度と帰らないことを暗示します。「月光水の如く」「水天に連なる」と「水」を繰り返して言うのは、清澄な美しい風景とともに、もはや帰ってこない時間を暗示し、「独り」の「渺然たる思い」を強調します。
この「独り」の寂しさ・悲しさはどこからきたのでしょうか。それはかつて「同に」来て月を眺めた人がいたからです。前半の「独り上る」に照応して転句に「同に来って」と言うところに、強い孤独感がただよい、起句の「思い渺然」がさらに効果的に響きます。結句の「依稀」は、ぼんやりとしているさまを言います。「さながら~のようだ」「ほのかにそれとわかる」の意です。「月を翫びし人」の「人」は、男性という説もありますが、詩の雰囲気からすると女性のようです。唐代の詩人の伝を集めた『唐才子伝』に次のような話しが記されています。
趙嘏は浙西(潤州)にいたころ、美しい一人の女性を溺愛していた。ところが科挙を受験するため都に上っている間に、浙西節度使に奪われてしまい、科挙に及第したのちにそのことを知ると、悲しみのあまり詩を一首作った。節度使はその詩を読んで哀れに思い、都にいる彼のもとへ人を介して女性を送りとどけることにした。途中、横水駅(河南省孟津県の西)で二人は偶然に出会い、二人は抱き合い、痛哭して再会を喜びあった。しかし、女性は再会の二日後に亡くなってしまった。趙嘏は死ぬまで彼女を思いつづけ、臨終のとき彼女の姿を見た、と。
この逸話からすると、女性を失ったのは会昌五年(八四五)春夏の交で、その翌年(八四六)四十一歳のときにこの詩が作られたと推定されます。ただし、趙嘏には亡くした妻を悼む「悼亡」の詩が残されているので、亡き妻をしのんだものかもしれません。明代の譚元春は「ことばの端ばしに、とどまるところを知らないすすり泣きがある」と評しています。
趙嘏はかつて七言律詩「長安晩秋」を作りその頷聯に
殘星幾點雁横塞[残星幾点雁は塞を横ぎり]
長笛一聲人倚樓[長笛一声人は楼に倚る]
と詠いました。この聯が杜牧(八〇三~八五二)に激賞され、人々に「趙倚楼」と呼ばれるようになったと言います。官途には恵まれませんでしたが、詩名は高かったようです。この詩も「楼に倚」っています。
