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〈説明〉
口の形を極端にしての発声練習は母音の区別をはっきりさせるためにとても重要な練習です。これは筋肉の訓練でもあり。母音の区別をはっきりと発音する習慣をつけるためのものです。普段、街中を歩くときに運動会の行進のように大きく膝を上げて歩く人はあまりいませんが、早朝や夕方などの散歩のとき稀に膝を上げて歩いている人がいます。これは母音の練習と同じで、筋肉と関節の運動を習慣づけ、無意識でも膝が上がり気味になり、つまずいて転ぶことを防ぐための運動です。高齢になりますと誰でも歩き方が消極的な動きとなり、足は引きずり気味となり、一センチの段差にもつまづいて転ぶことがよくあります。これを防ぐために膝を高く上げて歩くことを散歩に取り入れている人は珍しくありません。吟詠も同じことで、吟じている最中に口の形を意識して極端な発声をすることは基礎訓練の一つで、普通の吟詠ではありえません。
このような訓練と似たようなことで、吟じる時に前傾姿勢になる人がいますが、これも極端な母音で吟ずるのと同じで、普通ではありません。これは背筋に意識を向けようとした指導が誤って伝わった結果の現象です。本来は背筋だけでなく、腹筋にも意識を置かなくてはなりませんが、片方だけの指導が取り上げられた為このようなことになったものです。腹筋に意識を持って行くためには、後ろに反る、つまり後傾の姿勢になれば解り易いのですが、意識できるようになれば、前傾も後傾も必要なく垂直に立って吟じればよいことです。背筋や腹筋に力が必要な時は主に高い音程を吟ずる時です。特に高くて小さい声を必要とするときや、息の在庫が少なくなってきたときは特に大事です。
母音の発音や口形と詩情表現との関係をお話しします。
詩情表現の基本として、言葉がはっきりと伝わることが大事です。声が良く節回しが上手でも何と言ったのかが分からなければ詩情は伝わりません。その意味では母音の発声訓練は必要ですが、普通に話すときの母音とあまりにも違いすぎるとこれもまた詩情表現の妨げとなります。例えば「ア」の発音で口を大きく開くと明るく大きな声にはなりますが、時には品の無い声になったり、深刻な詩文に背くことになったり、不都合な場合も多いでしょう。逆に「ア」の発声で、口を半開きにして吟じた場合、品は保ち意味ありげに聞こえますが声量は期待できません。どちらを選ぶか、又はその中間を選ぶかは詩文次第です。やはり詩文に合った発音が大事で、発声練習の発音をそのまま吟に用いることは不都合です。
口の形によって「オ」に近い「ア」と「エ」に近い「ア」が有りますがどれが正しいとは断言できません。「オ~ア~エ」の順番に母音は連続して無数に存在しているといっても過言ではありません。個人の差もありますし、表現によって違う場合もあります。しかし「イ」と「ウ」の場合は基本的に上下の歯が閉じられていますので、一ミリでも歯が開くと、「イ」が「エ」に聞こえたり「ウ」が「オ」になったりします。しかしこの場合でも個人差により一ミリか二ミリくらい空いてる場合もあります。勿論、発声中に歯の隙間が動きますと母音が大きく変化してしまいますので不可です。
発音の練習も発声の練習も吟の練習とは切り離して行うことが肝要です。基本練習が身についているものと信じ、吟じているときは基本練習を忘れましょう。
詩情表現の為に役立ちそうな基礎訓練がまだあります。それは声を出しての素読です。「素読百辺」と昔から言われていますが、実際にはこれを普段から実行しているかたは少ないと想像します。もともとは「素読百辺意自ずから通ず」からきていますが近年では、何べんも読み返すことによって、自分が書いた詩文であるかのように思えるようになり、吟じ方も変わるという意味につかわれます。昔、ある女性がコンクールに向けてこの「素読百辺」を実践して見事に優勝。多くの審査員が「鳥肌」。これだけでは大したエピソードに思えないでしょうが、後日ご本人から聞いた言葉に改めて驚きました。真顔で『この吟題は他の人に気やすく吟じてもらいたくない』と。この気持ちが分かりますか?「出郷の作」佐野竹之助になってしまったのだと判りました。
※こちらの質問は『吟と舞』2022年6月号に寄せられたものです