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杜甫「絶句」
杜甫には題名を「絶句」とするもの、あるいはわざわざ「~絶句」などというものが、七言絶句では四一首、五言絶句では一四首あり、ほとんどが連作です。この詩は四首連作の三首目です。
兩箇黃鸝鳴翠柳[両箇の黄鸝翠柳に鳴き]
一行白鷺上靑天[一行の白鷺青天に上る]
窓含西嶺千秋雪[窓に含む西嶺千秋の雪]
門泊東呉萬里船[門に泊す東呉万里の船]
〈二羽の黄鸝が緑の柳で鳴き、一列になって白鷺が青空を飛んで行く。窓には西嶺の万年雪がまるではめこんだように見え、門の前には東の呉からはるばる万里も航海してきた船が停泊している。〉
杜甫は当時の新しい詩形の七言律詩を芸術にまで高めました。律詩は全八句で、その第三句と第四句(頷聯)を対句にし、また第五句と第六句(頸聯)も対句にしないといけません。対句とは、文法的に同じ働きをする言葉が相対応して同じ順番で用いられる二つの句を言います。絶句では対句は必須ではありませんが、この詩は前半が対句、後半も対句の「全対格」の詩です。
起句の「両箇」と対になる承句の「一行」は、黄鸝・白鷺を修飾する語で、「二」と「一」という数字を使っています。このように数字を使う対を「数対」と言います。次の「黄鸝」と「白鷺」は名詩の鳥が対になり、それぞれ「黄」「白」の色が修飾しています。これを「色対」といいます。「鳴く」と「上る」は動詞です。「翠柳」と「青天」は名詩が対になり、こちらも「翠」と「青」の「色対」です。
後半は家の「窓」と「門」という名詩が対になり、「含む」「泊まる」の動詞が対になり、西と東という方角を表す修飾語がついて「西嶺」「東呉」と対になっています。下の三字は「千秋」「万里」と数字が用いられてそれぞれ名詩の「雪」「船」を修飾します。数字と色と方角を表す修飾語が五か所で十字も用いられ、描かれる景色は一幅の絵画のようです。「窓に含む」は、額縁に嵌め込まれたように見えることをいい、なんとも洒落ています。
この詩を頷聯と頷聯にして、前に二句を付け、後ろに二句をつけたら律詩になります。絶句と律詩は唐代になって新たに創られた詩形で、絶句は律詩を「絶った」ものだという説もあります。
詩の見どころは、全対格であることと、視線の動きに導かれて、景色が立体的に彩り美しく立ち現れる、その描写の巧みさです。起句は地上の近景で鶯の鳴き声が耳に心地よくひびきます。どこで鳴いているのかな、と見ると、緑の柳に黄色い二羽のうぐいすの姿がほのかに見えます。ふと見上げると青い空に一列になった白鷺が遠くへと飛んで行きます。空の遠景です。その目線のままに遠くを見ると万年雪をいただいた峰が見えます。青い空に白い雪、横に広がる遠景です。故郷を遠く離れてはるばる遠くまで来たものだと感慨にひたっていると、船の音がしたのでしょうか、振り向くと門の近くの橋の船泊りには、東の呉の船が停泊しています。そして一筋の川が遠くまで続いています。地上の近景から川に沿って遠景へと視線が誘われ、故郷への思いがほのかに流れます。
広徳二年(七六五)杜甫五十三歳、世乱と飢饉に見舞われ「杜甫一生憂える」と言われる生涯のなかで、浣花渓のほとりに草堂を築き、平穏な時を過ごした成都時代の作品です。草堂の東側には万里橋があり、東へ向かう船が集まる船泊りとなっていました。杜甫の故郷は呉ではありませんが、東の呉の地方は杜甫が若いころ旅をした懐かしいところです。
この時期、平穏な生活のなかで故郷を思う詩がいくつも作られています。
