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本宮三香「九段の桜」
九段と言えば靖国神社、桜と言えば武士の魂。「九段の桜」は、前半は忠義を尽くして国のために散っていった人々の勇気と武勲をたたえ、後半は桜に寄せて英霊を弔い、御魂の安らかならんことを祈ります。
至誠烈烈貫乾坤[至誠烈々乾坤を貫く]
忠勇譽高靖國門[忠勇の誉は高し靖国の門]
花滿九段春若海[花は九段に満ちて春海の若し]
香雲深處祭英魂[香雲深き処英魂を祭る]
〈至誠は烈々として激しく盛んにこの天地を貫くほどだった。その忠義武勇の誉は、靖国神社の大鳥居のように高くて尊い。春を迎えた靖国の社には、今年も桜の花が咲き乱れ、あたかも春の海のようだ。香しい雲のように咲く桜、その奥深いところに英霊を祀っている。〉
「至誠」はこの上もない誠、真心をいいます。「四書」の一つ『中庸』に出てくる言葉です。ちなみに四書の他の三つは『大学』『論語』『孟子』です。「四書」は江戸時代の武士が学ぶ基本の書物でした。「忠」「勇」は『論語』に見えます。孔子は「吾が道は一以て之を貫く」(「一貫」の出典)と言い、弟子の曽子は「夫子(先生)の道は忠恕のみ」と言います(里仁篇)。「忠」は内なるまごころにそむかないこと、恕はまごころによる他人へのおもいやりです。「勇」は「義を見て為さざるは勇無きなり」(為政篇)とあります。
作者は日露戦争に従軍し、戦友と共に戦い、第二次世界大戦で国のために散っていった若人の姿をまのあたりにしています。起句に「至誠烈々乾坤を貫く」というのは、その若人の心意気、国に尽くした至誠に心うたれた作者の偽りのない思いを真正面から詠ったものです。それを承けて「忠勇誉は高し」と言います。この「高し」は「靖国の門」を修飾する働きもあり、高々と聳える靖国神社の大鳥居を想起させ、大鳥居のような高い忠義の誉を実感させます。この「靖国の門」は、後半の桜を詠うためにも重要な働きがあり、この語によって転句が導かれます。
靖国神社のあるあたりは九段と言います。靖国神社は、九段坂の坂上に東面して建ち、大鳥居が東に向いています。「九段」と呼ばれるのは江戸幕府が四谷御門の台地から神田方面に下る傾斜地に沿って石垣を築き、その石垣が九層だったからです。靖国神社の大鳥居から九段の坂下を眺めるとかなりの急勾配になっていて、すぐ右手に旧江戸城の田安門が見えます。この門を入って行くと日本武道館があります。九段坂や皇居、また御濠のまわりには桜の木が植えてあり、春には爛漫の桜が咲きます。広々とした靖国神社の境内も春には桜が、秋には銀杏並木の黄葉が青空に映えます。
武士の至誠と忠勇の美しさ、また人の世のはかなさは、よく桜にたとえられ、黒沢忠三郎の「絶命の詞」(本連載68回)にも詠われていました。この詩では「花は九段に満ちて」と言い、雲のように咲く桜が風に揺れるようすが、あたかも、たゆたう海のようにみえることから「春海の若し」と言います。漢詩では同じ漢字を二度使うことは許されませんので、結句では桜の「花」を「香雲」と言いますが、もとより桜の花は雲のように見えることから詩ではよく「雲」と形容され「紅雲」「淡雲」などとも言います。ここでは「香」と言うことによって「英魂」を包み込む桜の香り高い余韻が漂います。
言葉が一つ一つ活き、また言葉と言葉が緊密に繋がり、前半は理知的に後半は情緒的に詠うことによって鎮魂の思いがあふれます。
