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黒沢忠三郎「絶命の詞」
安政七年(一八六〇)三月三日、桜田門外の変が起こりました。桜の花が咲く時節ですが、当日は雪が降っていたといいます。今回の詩は、二十歳をでたばかりの若者が処刑されるときに詠った「絶命の詞」です。前半で「呼」が二回、後半で「桜」が三回使われています。
呼狂呼賊任他評[狂と呼び賊と呼ぶは他の評するに任す]
幾歳妖雲一旦晴[幾歳の妖雲一旦晴る]
正是櫻花好時莭[正に是れ桜花の好時節]
櫻田門外血如櫻[桜田門外血は桜の如し]
〈我々を狂人と呼ぼうと乱賊と呼ぼうと、他人の評するに任せよう。長い間、怪しげな雲が太陽を遮っていたが、今にわかに晴れたのだ。時はあたかも桜の花の咲く好時節。桜田門外に飛び散った血は桜の花びらの ようだった。〉
「一旦」は、三通りの意味があります。①ひとあさ。短い時間のたとえ。②ある朝。転じて、ある日にわかに。③ひとたび、にわかに。物事が起こるのを仮定していう。ここでは②の意味です。「正是」は、時はちょうど。時はあたかも。杜甫の「江南にて李龜年に逢う」で「正に是れ江南の好風景、落花の時節又君に逢う」とあります。
起句は、他人の評価などはおかまいなしに、信じる我が道を行くという強い信念を詠います。他人から見たら「狂・賊」と評されるような、常識では考えられないことを行った、ということになりますが、ここでは具体的に何をしたかは言いません。伏線を張りながら詠っていきます。
承句は、その暴挙によって「妖雲」が一気に晴れたことを言います。「妖雲」は太陽を遮る怪しい雲。漢詩では「浮雲が日を蔽う」と言うと、邪悪なものが正しいものを覆い隠す、という意味になることがあります。
「妖雲」ですからその意図は明らかです。前半の二句は力強く、その心意気が伝わってきます。
後半は「桜」を三回使って情緒に訴えるように詠い、かつ「妖雲」が何であったのかを明らかにします。桜花爛漫の時節、桜田門外の血、と言えば井伊直弼の暗殺事件、桜田門外の変です。起句の「乱・賊」と呼応します。長年の井伊直弼の悪政が「妖雲」で、それを晴らしたという承句とも連絡します。
転句の「桜」は時節になると咲く桜、結句の頭の「桜」は桜田門の桜、句末の「桜」は血の形容です。同じ桜でも意味合いが違います。好時節の桜は、意を遂げた晴ればれとした気持ち象徴し、結句の末の桜は、信じる道を命懸けで実行した志士の魂を象徴するかのようです。その二つの桜を結びつけるのが、事件の起きた桜田門外です。「桜」の使い方が巧みです。
武士は潔く死ぬもの、それは散り際の美しい桜に喩えられます。飛び散る血を桜の花びらとみたてる作者の詩心が光ります。が、読むほどに、何とも言えない悲しい思いにとらわれます。幕末の志士の詩は勇ましいけれども、どこか哀しくて寂しい、そう思うのは私だけではないと思います。
作者の黒沢忠三郎は天保十一年(一八四〇)の生まれで、勝算と号しました。水戸藩士で、事件後、細川邸等に幽閉され、万延元年(一八六〇)あるいは文久元年(一八六一)に刑死したと言われています。この詩には、死に臨んで、桜のようにみごとに散って行こうという気持ちも込められています。
2025年10月号で取り上げた佐野竹之助も水戸藩士で、その「出郷の作」は死を覚悟して郷里を出る作品でした。吉田松陰の「辞世」(2025年11月号)とともにあらためて読んでみると、志士の心映えが見えてきます。
