公益財団法人 日本吟剣詩舞振興会
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吟詠音楽の基礎知識 2023年8月



〈説明〉

 身の回りの音には一定の音程(周波数)を持つさまざまな音があります。 楽器はもちろん、プロペラ式の飛行機の音や冷蔵庫の唸る音、ドアが開くときの蝶番のきしむ音、鍋どうしがぶつかる音などは大抵一定の音程を感じさせるものが多く、これらは全てフーリエ解析が可能です。
これらの音を聞くと大部分の人が何の音かを判断できます。
この時の判断のよりどころが音色、つまり倍音構成なのです。
 自然界にははっきりした音程を感じさせない雑音の部類に分けられる音もたくさんあります。
川のせせらぎ、砂利道を歩く音、木々が風にざわめく音、群衆の声、拍手の音、テレビの砂嵐音などはフーリエ解析に不向きな音ですが、人間の耳では何の音か聞き分けることが出来ます。
 倍音を解析できない音でも聞き分けられるのなら、母音の判別と倍音構成の判別は無関係なのでは? とお思いですか?
今挙げた自然界の音は倍音構成が分からなくても判別できるほど特徴に違いがあるということなのです。 人間の母音は全て人間の声です。
しかも同じ人の声を聞きながら母音を聞き分けているのですよ!
水の音と風の音を聞き分けるよりもはるかに高度で微妙な違いを聞き分けるのが母音の判別なのです。

 誰もが持っているこの母音の判別能力ですが、誰もが生まつき持ち合わせているわけではありません。生まれたばかりの赤ん坊は言葉が分かりません。
話せないだけでなく。言葉を聞き取ることが出来ないのです。
赤ちゃんが最初に覚える音はお母さんの声だそうです。
生きるために最も重要な声だからです。
母音の区別はできなくても誰の声かは区別ができるというのも驚きですね!
 母音の区別が出来るようになるためには時間がかかります。
大人になってから外国語を覚えるよりも時間がかかります。
大人の場合、誰でもすでに自国の母音を識別できるのですから比較になりません。
子供の話し言葉が可愛いと感じるのも母音・子音ともに上達の途中だからにほかなりません。
 しかし、大人だからといって誰しもが完璧な母音を発声できるかというとそうでもありません。
それぞれの人によって育った環境などが違うため、言葉の発達に違いがあるのです。
また肉体の違いによって声が違うように、母音も異なります。

以前、講習会のために吟の中から母音のみを取り出し10人くらいの人の声を母音別に集めて聞いていただきました。
10人の「ア」を連続で聞いてみるとほとんどの方が「ア」であると判断しましたが、「ア」以外の声に関しては判断がばらばらになりました。
つまり「ア」以外は個人差が大きいということなのです。
「ア」のときの口の形は大きく開くのが一般的ですから、いろいろな開き方は無いというのが個人差の少ない理由だと思います。
しかし他の母音については口の形がさまざまなのではないかと思わざるを得ないほどの違いがありました。
「エーアーオーアーオーウーエー」と聞こえるのですが、実はすべて「オ」なのです。
答えを明かすと会場がどよめき、笑い声まで聞こえてきました。
その時内心「ヤッター!」と思いました。
徹夜で編集した甲斐があったというわけです。
  この編集をして図らずも初めて気が付いたことがありました。
それは、どんなに変わった母音を発する人の言葉でも、その人の声だけを聴いているときは母音の聞き違いは起こらないということです。
10人の母音「オ」を聞いた時「エ」と発声した人の吟を2分間聞いても、「オ」を「エ」と発音したように聞こえる瞬間が無いということです。
つまり人間は、少なくとも日本人は母音の判別をするとき、聞こえてくる母音の全てを比較しているのだということが推測できます。
一般の人の「オ」に比べると「エ」に近い「オ」を発する人の「エ」はさらに平たく「イ」に近い「エ」を発しているのでしょう。

  日本語の母音は種類が少ないため、多少の違いがあっても聞き取ってもらえるということなのかもしれません。
昔の日本語は「い・ゐ」「お・を」「わ・は」の発音に区別があったのですが、今はほとんど無く、これから先益々区別が曖昧な発音になってしまうのかなぁと心配になります。
 昔、金田一春彦先生が「古代の日本語から現代の日本語までの変遷を見ると、次第に口を動かさない方向に変化している」とおっしゃいました。
そして続けました。
「『面倒くさいからやめちゃおう』は将来『エドークサイカーヤエチャー』と言うようになるかも?」と心配とも皮肉ともとれる言葉を残されています。



  ※こちらの質問は『吟と舞』2019年6月号に寄せられたものです