公益財団法人 日本吟剣詩舞振興会
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吟詠音楽の基礎知識 2023年6月



〈説明〉

尺八に関する言葉で説明「首振り三年」という言葉がありますが、尺八の世界ではこれを口にする人はいません。これは尺八を吹いている姿を見た一般の人が「尺八というものは首を振りながら演奏するものなのだ!」と思い込んだために生まれた言葉です。「三年修行しないと一人前になれない!」という意味で言うのでしょうが、実際はそうではありません。尺八の初心者は絶対に首を振ってはいけないのです!!尺八はフルートや篠笛・ケーナなどと同じように、息の出し方や息のあて方によって、音が出たり出なかったりする楽器なのです。息の向きがほんの1ミリずれても、音がかすんだり鳴らなくなったりします。その為、初心者のうちはつい首を左右に振って、鳴るところを探ろうとしてしまいがちなのです。たしかに首を左右に振ることで息の当たり方が変わりますので、断続的ではあっても音の出るところに当たってホッとするのですが、正常な発音状態になったわけではありません。常に適切な位置に息が当たっていれば音は安定して鳴り続けます。安定している間は首を振る必要はないのですが、初心者のうちに首を振る癖がついてしまった人は、ビブラートをかけるつもりはなくても、首を振ることで無意識にビブラートがかかりっぱなしの演奏をすることになってしまうのです。このように結果的にビブラートをかける奏法が習慣化してしまいますと、ビブラートをかけずに(ノンビブラート)演奏することが出来なくなってしまうのです。尺八界では「首振り三年」の格言を逆手にとって「初心者は三年経たないと首を振ってはいけない」と皮肉っています。



ビブラートをかけていることが一目でわかる楽器がヴァイオリン(ヴァイオリン族)です。この楽器は、左手で絃を抑えることで音程を決めるので、抑える場所を揺することでビブラートがかかります。この時左手が大きく激しく揺れるのでとてもよく目立ちます。しかしヴァイオリンにとって大切なこのビブラートも大勢で演奏するときは役に立ちません。ヴァイオリンのビブラートは尺八や声と同じく音程の上下によるものですから、大勢で同時に行っても手の動きが揃っているわけではありませんので、ビブラートもバラバラで効果はありません。効果が無いだけでなく、ハーモニーもぼやけてしまうのです。音程が揺れているのですからハーモニーも一定しません。その為、オーケストラの指揮者の中にはノンビブラートを要求する人もいます。



さて、吟詠におけるビブラートは、前出の尺八初心者のビブラートと似たような立場です。尺八の場合、ビブラートをかけずに演奏できることがベテランの証であると同様に、吟詠においてもビブラートを使わずに聞き手を魅了することが本物の証なのです。尺八の初心者が音の不備を首振りでごまかすのと、コブシを廻せない吟者がビブラートで間に合わせることはよく似ています。元来、吟詠にビブラートは無用なのです。コブシもビブラートも曲節に装飾を施すという意味では同じ立場ですが、吟詠には昔からコブシによる装飾が行われてきました。コブシによる装飾とビブラートによる装飾が入り混じってしまうと、コブシの醍醐味が無くなってしまいます。吟詠は言葉を読む部分と節を歌い上げる部分とに分けられますが、言葉と節の間の1〜2秒間にビブラートを入れてしまうと、そのあとの節が生きてこないことがほとんどです。昔から行われてきたコブシよりももっと魅力的なビブラートがあるのでしたら、コブシにとってかわることも良いでしょうが今までにコブシよりも魅力的なビブラートに出会ったことがありません。



コブシを用いずにビブラートのみで間に合わせる吟詠は論外ですが、コブシとビブラートを併用するという方が多く、これはコブシの魅力を半減させてしまうことなのです。コブシを聞かせ処の一つとする吟詠にとって、ビブラートは邪魔なだけの存在ですが、これが習慣となっている人にとって、これを一切無くすということは簡単ではありません。「ビブラートを使わないように気を付ける」だけではなかなか解決しません。まず「声を真っすぐに伸ばす」ことから練習しなくてはなりません。最初から吟の中で練習するのは難し過ぎます。どうしてもビブラートが入ってしまい、練習効果は無いと思います。まず母音を真っすぐに伸ばす練習から始めましょう!この練習で大事なことは「目的地を目指す」発声です。いつまでも声を伸ばすのではなく、1、2、3と拍子をとりながら発声し、3の瞬間に声を止めます。もちろんこの間はノンビブラートです。目的地をはっきりさせることで声に張りが出るのでノンビブラートが出来るのです。実はこの3の瞬間がコブシの入る瞬間なのです。声を真っすぐに伸ばすことが気持ちよくなりこの発声が好きになれば、吟詠中の声からビブラートはなくなるでしょう。



今までに多くの吟詠家の吟を聞いてきましたが、昨今ではノンビブラートの吟詠家は少人数です。そしてその全員が素晴らしい吟をされます。他人の吟を聞くとき、ビブラートに関心を持つことから始めてみてはどうでしょうか?

※こちらの質問は『吟と舞』2019年3月号に寄せられたものです