
藤野君山「宝船」
日本漢詩には面白い詩がたくさんあります。今回は正月にふさわしい「宝船」の詩を読みます。
壽海波平紅旭鮮[寿海波平かにして紅旭鮮かなり]
遙看寶字錦帆懸[遥かに看る宝字錦帆の懸るを]
同乘七福皆含笑[同乗の七福皆笑いを含む]
知是金銀珠玉船[知る是れ金銀珠玉の船]
〈寿の海は波もなく穏やかで、朝日が真赤に照り輝いて鮮やか。その光のもと「宝」の文字を書いた錦の帆が高く懸っている。よく見れば、船には七福神が乗って満面の笑みを浮かべている。これこそが金銀珠玉を山と積んだ宝船である。〉
春の海に紅に輝く朝日。その光のなか、「宝」の文字の書かれた錦の帆が高く掲げられているのが見えます。船に乗っているのは満面の笑みを浮かべた七福神。まさしくその船が、「金銀珠玉」を山のように積んだ「宝船」です。
詩の構成は遠景から近景となっています。つまり前半の、海・旭日・船が見える全体の描写から、後半は船に焦点を当てて七福神を描きます。選択されている言葉は、「鮮やか」な「紅の旭日」、「宝」の文字が輝く「錦の帆」、海は「寿海」です。後半は「七福」「金銀」「珠玉」と、おめでたい言葉がちりばめられています。転句の「七福皆笑いを含む」によって、読者にも笑みが浮かび、幸せな気分になります。
七福神の起源や由来については諸説あり、よく分かりません。今日では、大黒天、蛭子(恵比寿)、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋を七福神としています。江戸の末期に定まったといいます。福禄寿は本来は福・禄・寿の三人で、寿は、南極老人を指します。福禄寿は三人なのに一人と数え、また福禄寿・寿老人と、「寿」が重なるのはなぜなのか、よく分かりません。
御利益は、簡単に言うと、大黒天は裕福、蛭子(恵比寿)は精錬、毘沙門天は威光、弁財天は敬愛、福禄寿は人望、寿老人は寿命、布袋は大量、とされています。
古い文献の一つに、元禄十一年(一六九八)の『日本七福神伝』というのがあります。仏典や諸説を引用しながら七福神について実証的に述べたもので、撰者は寓関東摩訶阿頼耶。この人の詳細は不明です。天理大学図書館所蔵の刻本を活字化したものが『日本漢文小説叢刊』第一集第四冊(台湾学生書局)に収録されています。
『日本七福神伝』では、「七福神は、仏典に見える吉祥・弁財・多聞・大黒の四天、中国由来の布袋和尚・南極老人、日本由来の蛭子神である。布袋和尚は時々化して独自に往来する散聖となり、信仰すれば必ず霊験が得られ、南極老人は常に人間に福をもたらすとされた。蛭子神は天照大神の弟で、習俗上、第一の福神として尊崇される。」とあります。
配列については、「吉祥・弁財・多聞・大黒の四天は、仏陀が自ら説いたことから前に列する。布袋・南極は中国に出現したので、これに次ぐ。蛭子神は日本の神祇なので末に置く」と、仏教流布の順序による、としています。
元禄の七福神と今日の七福神と一致するのは、インド由来の弁財天、多聞天=毘沙門天、大黒天、布袋、中国由来の南極老人=寿老人、日本由来の蛭子神(恵比寿)の六福神です。元禄の吉祥天(インド由来)は今日のものにはなく、今日のものには新たに 福禄寿(中国由来)が加わっています。
『日本七福神伝』では、福神の序列も述べています。四天のうち「吉祥・弁財の二天は、多聞・大黒の上に置く。仏経に梵釈の諸天がみな帰依し、吉祥・弁財を供養したことを語っているから。二神では吉祥が福をつかさどり、弁財が慧をつかさどる。そこで吉祥を福神の第一とする。その他の二人の神祇は、多聞を上とし、第一の護法神とする。布袋・南極では布袋を上とする、散聖に権化したからである。」と。
七福神信仰は庶民の福禄寿への願いによって生まれた習俗で、幕末には七福神巡りも流行しました。今日も三が日に七福神巡りをする人がたくさんいます。漢詩中の七福神のように、ニコニコと「笑みを含んで」日々を過ごすことが福禄寿を得る秘訣なのでしょう。