〈説明〉
確かに合吟コンクールと独吟コンクールでは競う項目が異なるとは思いますが、基本的には同じです、ただ一つだけ違う点を挙げれば、35人全員がいかに合っているか という点です。
全員がなかなかうまく合わない恐れのある項目は沢山あります。合わないとよく目立つのが、吟のタイミングです。
各吟節の出だしと止めが合っているか、全員の音程が揃っているか、コブシを廻す人と廻さない人がいないか、はたまた「態度」の項目に至っては、出場・退場の動きが揃っているか服装が統一されているか、整列の形態、つまり背丈の違いを活かした整列が出来ているか、女性の場合には両手を前に組む瞬間が揃っているかなど、多くの「揃い」が求められています。
かつて優勝のチームの話を聞くと、「出場の瞬間は右足から出るか、左足から出るかを決め、音楽が無い中、一定のリズムをもって行進し、マイクの前に止まるまで足並みを揃え、マイクの前に立ったら一歩も身動きをしないように決めた」とのこと。
また、背丈の凸凹を目立たなくするため、高さの違う草履を使って頭の高さを揃えるようにした。とも聞いています。ここまで細部にわたって揃えようと発想することもさりながら、それを実行する気力が勝ちへのこだわりを示していると思います。
調和審査の立場に限ってみましても、前述のようにいくつもの「揃い」が要求されます。
揃わないと一番目立つのは各吟節の出だしです。起句の出だしは先導、つまり独吟ですから問題ありません。その後の吟節が問題です。
「海南行」を例に説明しますと、起句の最後の節をきちんと止める人と流す人がいるために、承句の「花木」が揃わず「花花木」と聞こえるチームがありました。同じように結句の「起って」が「起っ起って」となることが多かったのです。基本的に絶句において、止めずに流すのは承句と結句の最後と結句中ほどの揺り上げのみだといっても過言ではありません。これ以外の個所は全て止めるのだと思った方が合吟はよく合うはずです。
もちろん、止めてもその止め方が合わなければ次の吟じ出しが合わないのは言うまでもありません。
また、止めが合わないと、次の出だしを揃えるためにどうしても「見計らい」の間が出来てしまい、吟の流れが止まってしまうという状態になり、全体としても流れの悪い吟になります。
またこの傾向は吟界全体に蔓延しており、独吟の場合にも「山」の後に必ず一服の休憩を入れてしまうようになってしまいました。これは現在、90パーセント以上の方が陥っていることです。
つまり、「二句三息」のリズムが「絶滅危惧種」となってしまい、吟界から消えそうになっているのです。独吟でもこの有様ですから合わせようとの意識が強い合吟ではなおさら間が開いてしまうのは無理からぬことなのです。
だからこのままでよいと言っているのではありません。
ご質問の中で強調されている「声量」と「迫力」について申し上げます。
あなたが感じた「迫力ある吟」は実は「広がりのある吟」だったのではないでしょうか? 「広がりのある吟」と言っても理解されにくいかもしれません。
理解されやすい例として、野球やサッカーの会場で観客が声援を送る光景を想像してみましょう。応援団の人が指揮を執ってタイミングを合わせてもなかなか一つにはならず右と左とが合わず、声の調子もさまざまです。
この状態が広がりのある声であり、合吟なら「広がりのある吟」ということです。
オーディオマニアの方はもうすでにお分かりとおもいます。そうです「モノラル」と「ステレオ」の違いです。
大昔の音響装置は「モノラル」しかありませんでしたので、オーケストラのレコードを聞いても、ヴァイオリンとコントラバスの音が一つのスピーカから聞こえてきます。これはスピーカを二つにしても四つにしても同じ事で、全ての楽器が一カ所から聞こえます。
現代の音響機器は左右別々のマイクで録音し、それぞれ別のスピーカで音を再生するので、茶の間にいながらサッカー場で観戦しているかのように聞こえるのです。
35人で声を出しているのだから、しかも正に現場で聞いているのだからステレオでしょう?と思いますよね? 極端なことを想定してみましょう。
一人だけの吟、独吟を録音したものを35個のスピーカで聞いたらどうなりますか? 今までの説明から思考実験してみるとすぐわかりますね?
そうです。35個のスピーカの真ん中から一人の独吟が聞こえてくるだけなのですよ。つまり35人の吟が全く同じ吟なら一人に聞こえる。しかも一カ所から聞こえるということになります。
実際は35人の声はどんなに訓練しても同じ声にはなりません。人間の耳には35種類の音として聞こえますからステレオにはなります。しかし限りなく同じ声なら、限りなく真ん中から聞こえてくるはずです。逆のことを言うと。35 人の声が違うほどステレオ効果が大きくなり広がりも大きくなるのです。合吟の声が雲霞の如く聞こえる場合、音程もタイミングもバラバラであるということなのです。
※こちらの質問は『吟と舞』2020年1月号に寄せられたものです